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2025年06月06日
冷静に検討
ダメだから試合に使わない!もっと練習して力をつけてこい!と言われても、選手は時に、何がどう悪いのか?何をどのように練習していけばいいのか?を解らない場合が多い。方向性や道筋の解らない檄は、時に選手を余計に迷走させてしまうことになる。冷静で具体的な指示が大切な場合もあるだろう。選手本人が指導者の求める意図を明確に理解していない、もっともっとの練習は場合によっては徒労に終わってしまうこともある。指導者自身も時に何となくダメだ、よく分からないけど練習が足りないんじゃないかという漠然とした感覚で檄を飛ばしてしまうこともあるだろう。指導者も選手も共に一緒に冷静に課題を検討していくことが大切なように感じる。
2025年06月05日
数年間
たった数年しか本気でできないのなら、その数年はがむしゃらに取り組んでいきたいものだ。数年なんて過ぎたらあっ!という間の時間。しかも手を抜いた過ぎた時間は大きな後悔を残す。できる時にやらないで、いつやるのか…過ぎたらやりたくてもできないのだから。日々全力で取り組んでいきたい。数年…一日一日は長いだろうし、数年先を考えると苦しかったり辛かったり、あまりに長い気がして漠然としてしまったりするかもしれない。そんな中では、あまり先々を見たり考えたりせずに、その日一日をいかに充実したものにできるかを考えた方がいい。そんな一日一日を積み重ねて数年を過ごしていけば、密度の濃い充実した数年を過ごしていけることになるだろう。
2025年06月04日
踏ん張り抜く力
踏ん張り抜く力。簡単に倒れたり、流されたり、逃げたり、それができればとても楽なのだろうと思う。どのような状況に置かれても、ひたすら踏ん張り抜く。そしてそこから一歩でも前進していく。苦しいし辛いし、、、それでも、歯を喰い縛って踏ん張る。何故そこまでするのか?恐らくそれは自分が投げ出してしまうと全てが終わってしまうから。誰かがやってくれる訳ではないのなら、自分が最後の砦になって、何が何でも何とかしていくしかない。どこまでできるかは分からないが、できるまで踏ん張り抜くしかないだろう。苦しさや辛いさに打ち負けないメンタリティを持って、自分が自分自身に絶対に負けない生き方をしていきたいと思う。
2025年06月02日
切れた凧
気持ちが切れてしまうと、半ば放心状態のようになる。糸の切れた凧のようにただ心は宙をさ迷う。心の組み立てもできなくなる。そんな時は、切れた糸の切れ端でもいいから見つけ出して、再度手繰り寄せたい。凧ばかり見ていると、心の方向性を見失ってしまう。凧をコントロールできるのは、凧本体ではない。それに繋がっている糸。凧は結果。糸は過程。気持ちが切れた時は、大体結果ばかりに目が行き、過程を完全に見失ってしまっている時。そんな時こそ、再度自分ができていなかった過程、見失いそうな過程に意識を置いていかなくてはならない。
2025年06月01日
波を作り出す
波に乗れないような時こそ、個々が平均的なことをやろうとするのではなく、個の持ち味、長所、特技を最大限に生かしたプレーを心がける。チームの一つのパーツとしての意識ではなく、個々の個性的な色合いのパーツの集合体がチームという意識。個を生かし、集団を生かす。これが大切になる。日本的な発想から考えると、集団に合うように自分を変えたり、自分を殺したりという考え方になりやすい。そうなると伸び伸びさが失われて、だんだん個が集団に対して萎縮していってしまう。集団が波に乗れている時は、それが集団的なまとまりに見える。また、波に乗っているから機能しやすい。しかし、波に乗れていない時は、何をしても機能したり裏目裏目に出てしまうので、集団全体が暗くなっていきがちだ。そんな時はどんどん個を輝かせて個の特徴や長所などを思い切り打ち出して個をノリノリにさせていくのも一つの方法だ。その個の波を集団の波へとまとめ上げていく。
2025年05月29日
間違いを楽しむ
何かをするときに例え間違ってもそれすら楽しんでしまえとも思う。間違えるのは嫌なことではある。でも間違えるということはまだ自分がそれをできていないということ。できないことがあるというのは、まだ自分にはやるべきことがあり、そこに自分の伸びシロがあるなら、それを知れることは楽しいこととも言える。そもそも、生きるなんてできないことだらけなんだから。間違うことに悲観的になるくらいなら、「おっ!自分にもまだまだできないことあるんだ!」と楽観的に受け止めて楽しんだ方が自分も楽しく間違ったことに取り組んでもいけるのではないかと思う。間違うことなんて何一つ恥ずかしいことでもないんだから。僕も近年まで度外視をどかえしだと間違い続け、度返しと書いていた。指摘を受けて人間の勘違いの面白さを知ったものだ。人なんて間違いの連続。その都度、悲観的になるより、おっ!また一つ偉くなれたくらいに楽しんだ方が人生は楽しくなる。
2025年05月28日
ストーリー
人生というのはそれぞれの人にそれぞれのストーリーがある。どのストーリーが正解かではなく、自分が自分自身に対して納得できたらそれこそが正解なのだろうと思う。その自分の人生のストーリーの中では誰もが自分が主役であり、そのストーリーの脚本を書き上げていくのも自分。長いようできっと校了する時には短かかったような気もするのだろうと想像する。この世の中には価値観も違えば、目指すものも違う様々なストーリーが交錯している。そんな中で人は、そしてその人が書いていくストーリーは、誰かとその誰かが書くストーリーと接したり離れていったりを繰り返していく。誰もが自分の正解を求めて。ストーリーって素晴らしいと思う。受け身ではなく、自らが能動的に書き上げていくものなのだから。そんな風に考えたら人生がより心豊かなものに思えてくる。
2025年05月27日
思考力と想像力
『深謀遠慮』深く考えを巡らし、のちのちの遠い先のことまで見通した周到綿密な計画を立てること。「深謀」は奥深い見通しをもった考え。「遠慮」は、将来について考え巡らす、遠く先のことをよくよく考えること。感情的になったりして、その場でその感情を抑制できずに思いつきの行動をしてしまったり、近くの損得勘定に振り回されて目先のことしか見えなくなったりする人もいたりするだろう。近視眼的にしか物事を見れなければ、先々のことまでは見れもしないし、当然考え抜くこともできないだろう。そうなると目の前に起こることへの行き当たりバッタリの対応にしかならなくなる。先を見るためには今の目の前を見るための目ではなく、心の目、そう心の中の想像力というものが大切になっていく。この想像力を持てているのは人間しかいないのだから。深く考えるための思考力。これまた人間しか持てていない。想像力と思考力の二つの力を両輪駆動させていかなくては『深謀遠慮』を行ってはいけないだろう。
2025年05月26日
大切な何か…
例え、思い描いた結果に至らなかったとしても、本気で思い描いた情熱、本気で流した汗、地道に積み重ねてきた年月は誰よりも自分自身がこれから先を生きていく力になるはず。苦しみもあったろう…流した涙もあるだろう…それらを乗り越えて自分を信じて舞台に立った力は図り知れない。もちろん、結果は大切だし、誰もが結果を残していきたいと考えていることだろう。しかし、結果では見えない数多くのことが本人の中に深く刻まれているはずだ。数字では表せない本人にしか分からない大切なことが。それは挑み続けた者にしか分からない大切な生きる力というかけがえのない財産だと思う。敢えて言おう。繰り返すが結果は大切、でもそれ以上に大切なものが絶対にある。人が人生を生きていく上で絶対に大切なものが。
2025年05月25日
内容は同じでも
卵5個を生で食べようとすると食べることが難しいだろう。しかし、5個を使って玉子焼きにするとペロリと食べられてしまう。内容は同じ卵5個なのだが、調理法によって食べられたり食べられなかったりする。何でもそうなのだろうが、ある物事をやるにしても、そのやり方をどうすれば楽しくなるかを考えてみると違ってくるのかもしれない。何かを伝えるにもある伝え方では伝わらないようなことでも、伝え方を工夫すれば伝わるかもしれない。内容は同じでも調理法を変えていく工夫が大切になるのではないかと思う。









